同窓生佐々木悦夫さん

hiishida2004-10-03

  • 昭和35年か36年だったか定かでないが、小生が勤める会社が松尾鉱山の露天掘りに参画することになった。
  • 世の中、エネルギー革命で、時代は大変革に向かっていく最中であった。
  • それまで、神戸製鋼とは因縁浅からぬ企業同士のお付き合いであったから、株の買収によって、それまでの株主に代わって、神戸製鋼がなった。数年もしないうちに、大株主の神戸製鋼の意図を汲んで、松尾に乗り込むことになった。
  • それに、先立って、鉱山側ご一行様(佐々木課長)がご挨拶に来るとのことで、本社工場で、小生も駆り出され会見となった。
  • まったく、今と違って(悪い意味ではない)、学生時代と変わりない、純な男がそこに立っていた。
  • 小生はその前年、貝島炭鉱の露天掘りを手がけてきた。これも大株主の意向で、おそらく、会社清算のためであったと思う。当時、先輩鉱長にご挨拶をかねて、企業会計の一部でも知りたくて乗り込んだと思う。もちろん、こちらの腹は読まれて一蹴されたが。
  • だいたいの様子で、「鉱山から早く逃げろ」といいたかったが、そばから上司が離れないので言い出せなかった。そのまま、今になっている。が、彼は、傍目ではあるが、その後、恵まれて貿易関係の会社に勤めた。
  • 松尾では、給料は我らの半分以下で、かつその給料も、遅配で惨憺たる有様であった。
  • これが、採鉱の教科書にも出たアノ松尾かと思ったものである。