生きもの

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生きものは皆必死に生きていると思う、今日生きて明日に伝える、例えそれがウイルスであっても、形を変え耐性を変えてでも次の世代に遺伝子を伝える。これが、自然の法則であるとする。BSEともなると、蛋白質からなるので、検体から検出が非常に難しくなると言う。ノーベル賞の田中さんの原理をもってしてもまだ使えないらしい。ともかく、この蛋白Pが動物個体のある小腸の部位に溜まって、そして脳髄に凝縮していく、ある期間を経て発症する。完全に取り除く技術などないと言ってよいだろう。肉質部には、検出できない程度の蛋白Pがあって、ある期間、それを食して人間の脳に貯留すのは、いつまでなのか、発症するのか、一生通じて発症しないのか。イギリスでは蛋白Pを含む飼料を食べさせて、実験しているが、日本では実験しているのだろうか。
人間は、社会生活の中で生きていく動物で、組織に属して生活するのがもっとも容易な生活姿勢を保っていける、問題はその組織が唯一無二の世界と思って自分の行動を律している人たち、意識・無意識にかかわらず、そこから外の世界を見ることの出来ない人たちである。いったん、定年になって、高齢を迎える年代にはどんな世界が待っているのだろう。職・職人の世界観、芸術の世界観、学・学者の世界観、商人の世界観、その人たちが残す・残そうとしている遺伝子・技術はいったいどんな遺伝子・技術なのか、必死に生きる先に何を伝えていくのか。そこに、社会のありかたに、政治が主導していく価値。政治・政治家はその外の世界を覗く目を持っているのだろうか。世界の中の日本、どうしようというのか。民意を無視しても突き動かす政治政策とは何なのか、民意は政治を越えて正しくないことを主唱するのだろうか。
また次の機会に。